√Ω ??-1 〜死人殺シ〜

 

事の発端はなんだったのだろうか。

 

多分、いつものように素行の悪い馬鹿な生徒が授業中に暴れ出して。
たまたまそれが生徒指導で厳しい●先生が担当の時で。
でも何故かそのときはいつもと違って、●先生が何故か圧倒されていた。
それを収める為に担任を呼びに行って、その役がたまたま私だっただけで。

 

――ただの、何の変哲もない日常だった。

 

「ねぇ、おねぇちゃん?」
「…………」
「私たち、もこうなるの?」
「…………」
「ねぇ――」
「そんなの私に訊かないでよ」
「…………」
「少しは自分の頭で考えようって気はないの? 何もできないんなら少し黙ってて」
「う……」

 

足下には今まで動いていた『母親』だったモノが転がっている。
母親とはいっても私と血はつながっていない。
ただ、たまたま養子として育ててくれたというだけの『他人』だ。
だけど、他人だとしても私たちを孕んで産んで飽きたら廃棄しただけの子宮を持つあの糞女よりは『家族』だった。
居場所を与えてくれて、食べ物を与えてくれた。
生みの親より育ての親とはよく言ったモノだ。

 

「これ、先にどうにかしないといけないでしょ」
「……え? だっ、て、でもおかぁさん――」
「感染したらどうするの? こうなりたくないんでしょ?」
「え?」

 

やや語気を強めてしまったことに我ながら驚く。
冷静でいるつもりでもやっぱり駄目なのかも知れない。
パニックになる連中を眺めているのはちょっと楽しかったけど。
それはただの客観的な視点でしかなかったからなのだろう。
TVの中の、作られたストーリー。

 

「……かん、せん」
妹は私よりもかなり幼い。年令的にも、知能的にも。
しかし感染、という意味が理解できないわけではないだろう。
この家に貰われてきた時、私は10歳に満たなかった。
扶養されているというだけで執拗に肩身の狭い思いを抱いてきた私と違い、小さな妹は新しい家族を素直に受け入れ無邪気に『母』を慕っていた。
そんな妹を羨望しながらも、捻くれた私はずっと良い子を演じてきた。

 

――もう、その必要もないか。

 

「……はぁ」
大きめの出刃包丁に滴る汚い何かを振り払う。
今まで私たちの食を支えてくれた道具の一つ。

 

説明するのも面倒だが理解力の低いコイツに現実を教えてやらねばならない。

 

「アンタは見てないかもだけど、私は見たの。噛まれた奴が数分後同じようになるのを」
「噛まれ――」
「理解できる? なんらかのウイルスによる感染。感染経路が特定するまでは極力触らない方がいいかもね……もう遅いかも知れないけど」
「…………」
「ビニールシートのある場所知ってる? あのキャンプの時に使った青い奴」
「……びにーる、しーと? ……多分、外の物置、だと、思う」
「…………っち」

 

アスファルトの塀がバリケードになっているものの、流石に今家の外に出るのは自殺行為になるだろうか。
しかしこのまま遺体を放置しておく訳にはいかない。
念のため首を切り落としておいたので起き上がる危険性はないにせよだ。
布団でくるんで……

 

「そうだ、いっそのこと外のあいつらに喰わせるか――」
「だっ、ダメだよッ!! そんな――のっ」
「どうして? ならアンタの部屋にでも放り込んでおく?」
「う……」

 

「ちゃんと考えてる? 単なる風邪でも同じ部屋にはいたくないでしょ? ましてや遺体、なんらかの病原体に汚染された屍体だよ? そのままにはできないでしょ? 死にたいの? 感染してあいつらの仲間になりたい?」
「……なんで? どうして……うぅ……」

 

目の前の『女の子』は何もできずに、何もせずにぽろぽろと涙を零す。
……虫酸が走る。
どうしてこいつらはこう、煩わしいんだ。
泣けば誰かが助けてくれると思っている。誰かが助けて、慰めて居場所を与えてくれると思っている。
直ぐに何かに依存する。
私は可能な限り他者との接点なんて持ちたくはない。自分と異なる行動、考え方を持つ人間というモノと交わりたくない。
こいつらは自分の「思想」において勝手に理不尽に振る舞う。

 

――私は『他者』が大嫌いだ。

 

教師、生徒、親、兄弟、表面上の友達、そこら辺を歩いている人、TVの中の実際にあったことのない馬鹿ども。
全員今すぐにでも消え去ってしまってくれたら良いのに、とずっと考えていた。
どいつもこいつもきれい事をのたまいながら、常にどす黒い感情を吐き出したがっている。
ソレを認めてしまえば楽なのにそれでもなお体裁を保ち、社会に生きるために『正義』を口に出す。
現にインターネットの中は悪意でいっぱい。
他人への誹謗中傷、自分ルール、正義の横行、私を褒めて、私を認めて、俺はお前らとは違う。
自分より下の人間を見つけてはストレス解消、自分より上の人間がミスを犯したら袋だたき。
自らのアイデンティティの確保。

 

実際に人を切りつけたりしなくても、誰しもが他人を見下して、高見にあると妄信していたい。
これが本来の『人間』。皆、理解してる。
そして私もそのルールに則って生きていく。

 

どんなに体裁を取り繕おうとこの世は悪意しか存在しない。
自らがよく見られ、安寧の地位に存在するための悪意。
正義や愛など、実在しないが故に脳と社会が生み出した幻想。
すべては誰かの利益に基づく戦でしかない。

 

裁かれる悪人、社会の歯車、落ちぶれた現実、成功した金持ち、もてはやされる戯れ言、金、名誉、名声、男、女、年功序列。
社会の力関係は歴然だ。
『利口』な奴がこの世を謳歌し、本当の『勤勉』とやらはただの歯車。
生まれた境遇のレールに乗せられ、誰もが『ルール』と『レッテル』に縛られるしかない。
一度失敗すれば他者の統治する世界に這い上がることは難しく。
社会の規範に沿って生きることが美徳とされ、『汚いもの』は隠される。
この世界はすべて『汚物』で『綺麗』なものなど存在しないのに。
どいつもこいつも清浄なふりをして『汚いと定義されたもの』を排除する。

 

――こんなゴミみたいな奴ら、すべてこの世から消えてしまえば良いのに。

 

この考えを現実とするには自分が消え去ってしまった方が手っ取り早いのだと、気づいたのはいつの頃だったのだろうか。
わかっている。自分が一番理解している。こういう考えこそが最も忌避されるべきものなのだと。
私自身が最も汚らわしい汚物である、と。
だから私の手首には無数のイトミミズが這っている。
おかげでいつの間にやらリストバンドがトレードマークとなってしまった。
別にいじめにあっているわけでもないし、常に社交的な『模範的な子供』を演じているので誰にもバレたことはない。
こんなことをして周りの気を引きたいわけでもないし、死にたい訳でもない。
バレたらとたんに『問題のある子』扱いだ。そんなミスは犯せない。
私はそこまで馬鹿じゃない。

 

――ただ、生と死の境界は知りたい。

 

痛みと意識の消失、流れる血、脳漿。死の瞬間。
哲学的な問いや宗教、他者から与えられる『愛というもの』など私は必要としてはいない。
生きている肉の感触、血液の赤黒さ、心臓の鼓動。
この世はすべて幻のはずなのに、この中途半端な『生』の感覚はなんなのだろうか?
この世に生きる誰もが、すべての生物が等しく与えられている『死』という瞬間の救い。
この世の誰しもが一度は抱き、この世の誰もが味わったことのない感覚。
その正体を知りたい。今すぐにでも。

 

私の唯一の救いは『生と死の境界』に至ることだ。

 

――そんな私の願いを『神』とやらが叶えてくれた。

 

さっきから笑いを堪えるのに必死だ。
今すぐにでもイキそうなぐらい背筋を何かが這いずり回って、ざわつく。
ゾクゾクと、私の中の何かが吹き出しそうなぐらい暴れ出す。
これ、この気持ち。押さえられない。もういつ喰われてもイイ。
でももうちょっとだけ楽しみたいかも。
ああ、絶頂寸前の感覚を一生与えられ続けられたらイキ狂ってしまうのだろうか。

 

多分、今私の求めていたものが目前にある。
私が一生かけて一度しか手に入らないものがすぐ目の前にある。
こんなに早く手に入るなんて思ってもみなかった。
『死者がよみがえる』などと言ったのは何処の神だったか。
これが本当に現実ならアンタは本物の神とやらだわ。
崇拝する。今すぐ入信する。私を好きにして。
捧げる金はないけど、その辺から掻っ払ってくりゃ良いよね?
今現在この崩壊した世界で、金がどの程度の価値をもつか解らないけど、神は金を求めているんだから。

 

あと、この目の前の『妹』とやら。
コレ、今すぐにでも頭カチ割ってもいいかな?
この小さな頭に脳みそがどのくらい詰まっているのか、知りたい、見てみたい、確かめたい。

 

私、我慢したよね。自分の意思とは関係なくこの世に産み落とされてから何年も何年も我慢してきたよね。
万引きする馬鹿、ルールを破って優越感に浸る馬鹿、授業中に奇声を上げる馬鹿、他人を足蹴にいじめる馬鹿、そいつらを尻目に耐えたよね。
もうそいつらを刺してイイ権利、できたよね?
私を含めてこの世になんの罪もなく、生きてていい人間なんて存在しないよね?
神の使いとやらもが罪を背負い断罪されるらしい。
だとしたら罪こそがこの世の真実だ。
人類すべてが犯した罪を清算するには人類を滅ぼすしかないとの判断なのだろう。
神とやらが自分の生み出したモノを清算する時が来たのだ。

 

 

世界は終わった。本当に?
これは狂った私の妄想で本当はあの意味のない日常が続いてる?

 

「おねぇちゃん……」
「……なに?」

 

「皆どうなっちゃったの? これからどうするの?」
「…………」
『私の妹』はダイニングの一角で立ちすくんで怯えている。
多分、この予想も理解の範疇も超えた事態に戸惑い、恐怖を覚えているのだろう。

 

今この平和な国では恐怖に怯える状況などそうそう訪れない。
精々車に轢かれそうになるとか自然災害とかその程度だ。
だからこそ擬似的な恐怖を求め、エンターテイメントが横行する。
だがそれは所詮偽物、今私たちを覆っている恐怖こそが本物。
この状況を歓喜しなくていつするというのか。

 

「あんたはどうしたい? 今すぐ殺して欲しい? そうして欲しいならそうするけど」

 

「殺っ!? そ、んなこと……だっ、てわたし、は――」

 

「いい加減自分の立場を理解しなよ。いつまでもお父さんやお母さんやおねぇちゃんが守ってくれるとでも思ってた? これ、皆『他人』だから。あんたがどう思おうと勝手だけど、自分の身は自分以外には守れないんだよ。ねぇ?」

 

「だって、そんな、こんなの……」

 

「考えてもみなかった? お父さんが喰われるとかお母さんが私に殺されるとか、ペットが狂犬になるとか」

 

「…………」

 

「『考えていないことが起こらない』なんて、誰が決めたの? そんなのが当たり前になったら逆に『考えていることが起こる』ってことも当たり前になるよねぇ……想定外、予想の範囲外、想定していませんでした、考えが及びませんでした。だから対処できませんでした、私の所為じゃありません。だから私は悪くない、こんな可愛そうな私を誰か親切な人助けて」

 

「…………そんなこと、わたしは――」

 

「ああ、別に責めてるわけじゃないの。あんたの反応は多分『正常』だよ。うん、正しい。それが正解。多分皆そうなるよね」

 

「どうして……? なんでおねぇちゃんはそんな――」

 

「だからその声をやめろっつってんのッッ!!!」

 

「ひっ!!」

 

「助けて欲しい? かまって欲しい? かわいそうな私を慰めて欲しい? 敵から守って、食事を与えて、下の世話をして欲しい? 全部、全部、全部っ! 私にやって欲しい?」

 

「ちが……だって――」

 

「そういうさぁ……依存とか血縁関係だからどうのっての、好きなの? ちょっとでも関係があったらアンタはすぐ発情すんの? 誰かに好意を見せられたら好意を返して交尾すんの?」

 

「…………いやぁ」

 

「血縁関係に義務を生じさせてんのは法律、その法律も一定数知能を持った人間が存在していてこそ効果を発揮すんの。わかる?」

 

「ぅ……うぅ……」

 

「もうこうなった以上は仕方ないよねぇ。今すぐ外に飛び出してみる? うん、それもいいかも。こんなに溢れてるんだからもうこの町――いや、国は無理かもね。あとはどう死ぬかだけど。包丁、ロープ、水、ガス栓、洗剤……好きなの選びなよ。結構楽しいよね、死に方考えるのって。こんだけ死が隠匿されてても死ぬ方法は沢山溢れてる」

 

「し、ぬしかない……ってこと?」

 

「じゃ、私が死ねっつったら死ぬ?」

 

「いやぁ……っ!」

 

「じゃ、訊くなよ。自分で考える力ぐらいは『義務教育』で教わってきたんだろ? 自分の力で生きてみろよ」

 

「うぅ……」

 

綺麗だった顔はもう涙でぐしゃぐしゃだ。
可愛らしく着こなした制服も血がついていないだけで汚れている。
つややかで自慢の二つに括った髪の毛は乱れてぱさぱさ。
取り繕った外見など直ぐに破綻する。

 

私も多分似たような格好。
奴らの返り血や肉片ぐらいは付着しているのであれより酷いかもしれない。
醜くても全然生きていけるけど。

 

「…………おねぇちゃんはどうするの?」

 

「私? 知りたい?」

 

「う、ん……」

 

今は状況よりも私に怯えているのだろうか。
もともと私はこういう性格だと自負しているので特に支障はない気もするが。
ここまで妹が怯えるところを見たことがない。普段かぶっている猫が自分で思っているよりうまく作用しているということの現れ、だろうか。
なるほど、自らを開放することの気持ちよさを味わうと犯罪者の気持ちも幾分か理解できる。
あいつらはしがらみから解き放たれて満足なのだろう。
その先に待っているのはさらなる縛りだが。

 

でも私は違う、

 

――「この世界を楽しんでから、おさらばする」